2014年01月27日

障がい者グループホームでの看取り

ご無沙汰いたしております。今年もよろしくお願い申し上げます。

先日、お年寄りのMさんが亡くなられました。
Mさんは独身の障がい者でした。

暮らしの場である障がい者のグループホームでは、みんなと一緒に外食することができました。Mさんは自分で食べることはできないのですが、皆さんと同じお膳をスタッフがひたすらキッチンばさみで細かくして、しっかり召し上がられました。

そのお話を伺って、この方は皆さんに大切にされていると思いました。
障がい者のグループホームでは、日中に別のデイサービスを使うことが
できるので、お風呂目的にデイサービスも使われていました。


Mさんの在宅医療を開始するときに、親戚、ケアマネジャーさんと相談員、そして関係するスタッフの皆さんを交えて話し合いを開きました。最期はどうされますかという問いに、県外からこられた親戚の方は、ここで最期まで過ごしたいと希望されました。

グループホームのスタッフも、私たちも、それがご本人にとって一番いいだろうと考え、方向性が決まりました。
そのため、何かあったとき、まず訪問看護ステーションに連絡をすれば必ず医師に連絡がつき、看取りの往診ができること。救急車は呼ばないことを決まり事として共有しました。続きを読む
posted by 管理人 at 19:41 | Comment(2) | 障がい

2009年12月17日

「障がい児のきょうだいとして・思いを語る」に参加して

21年12月のある日、
「障がい児のきょうだいとして 思いを語る」研修会に参加した。

(登壇者の了解は得ていますが、お名前は仮名にしています)。
障がい児のきょうだいとして生まれ育った人たちの思いを
聴く機会は貴重だった。会場には、関係者、障がい児の保護者たちが集った。

3人の女性が登壇した。

<智恵さん>
智恵さんは、現在、子育て中の主婦である。
弟さんは脳性まひで、身の回りの世話が必要な状態という。
智恵さんは当たり前のように弟さんを受け入れてきた。
結婚してからも、実家の両親が家を空ける用事があると、
当たり前のように手伝っていた。

ご主人とは付き合っている頃から、弟さんの障がいのことを話し、
実際に弟さんを連れて出かけたこともある。もし、弟さんのことを話した時点で難色を示されたとしたら、どんなに素敵な人でもそれ以上の付き合いをすることはなかっただろう。ご主人とその家族はあたたかく迎えてくれ、結婚できたと思っている。

現在、幼児期の子どもがいるが、少しずつ弟さんが自分とは違うことを感じ始めている。根気よく話してきかせているが、障がいを頭で理解するのと実際に感じるのは全く違うと痛感している。親になって次の世代に自分が経験したことを伝えていくのが今できることだと考えている。


<則子さん>
則子さんは、障がい者の相談業務についている。
お姉さんがダウン症候群である。小学校高学年のとき、
お姉さんの障がいに気づいた。お姉さんの影響で、福祉の道を志す。

人からお姉さんのことをきかれると、障がいのことを
「病気なんだ」という言い方をしていた。
小さい頃から、お姉さんのことを、自分より優先してきた。
両親からお姉さんが怒られると、自分が怒られているように思い、
お姉さんがたたかれると、自分がたたかれるように思った。
両親はお姉さんのことで則子さんにプレッシャーをかけてきたことは一度もなかったが、3歳の頃には、則子さんはお姉さんの行動を目で追い、面倒を見てきた記憶があるという。

印象深いことは、結婚するまでお姉さんとは同じ部屋で毎日を過ごしていたが、則子さんが悲しいと「どうしたの?」と声をかけてくれ、笑っていると一緒に笑っていたこと。
結婚した今でも、実家に帰ると、お姉さんが「おかえり」と言ってくれる。


<和歌子さん>
和歌子さんは、教育学部の大学生である。弟さんに知的障がいがある。
和歌子さんが、弟さんの障がいを知ったのは中学生の時だった。
両親の落ち込む姿を見ているうちに、徐々に深刻に考えるようになった。
この頃から、親に負担をかけないようにしようという気持ちを持つようになった。
好きでやっていた訳ではないが、家事などの手伝いをはじめ、自分でできることはなるべく自分でやるようにし、親に頼らないようにしていた。

高校生の頃は、自分の家族と友達の家族の違いを感じるようになった。お母さんが弟さんのことばかり気にするので、うらやましくなり弟さんへ八つ当たりすることが多かった。ほとんど毎日部活で遅く帰宅し、家族との関わりを避けた。

もともと教員を志望していたが、両親から教員になるなら
特別支援教育の道を、と進められてそれに従った。
大学に入学した当初は、特別支援には興味がなかったが、ボランティアで
障がい児と関わるうちに興味を持つようになった。
やがてこれまで姉として弟に何もしてやれなかったことに罪悪感を抱くようになり、今は弟さんと関わりを持つようにしている。

また、大学に入ってから「きょうだい会」があることを知り、非常に救われた。
これまでのきょうだいとしての生き方を見つめなおすきっかけになり、今後の弟さんとの関わり方を考えることができた。
何より同じ立場の仲間に出会えたことが心の支えとなっている。

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posted by 管理人 at 15:44 | Comment(2) | 障がい

2008年10月02日

障がいをもつ人の人生の責任は誰がとるのか?(長文)

しばらくブログをさぼっていましたたらーっ(汗)
いつも通信テレマカシーでお世話になっているSさんから、ブログは書かないと・・・といわれ、よしっexclamationと再開します。


 2008年9月14日・15日に、京都の同志社大学を会場に在宅ケアを支える診療所市民全国ネットワーク 京都大会が開かれました。私は人工呼吸器をつけた子どもの預かりサービスについて実践交流会で発表をしましたが、それ以外はずっと会場で発表や講演を聴いていました。その中で初日に立命館大学の社会学者、立岩真也さんの話を紹介します。
 
 以下、記録をもとにまとめたものです。

立岩さん
◎障がいをもつ人とのかかわり
 重い障がいがありながらひとりぐらしをする全身性障がい者とのかかわりを続けてきた。制度がないころから、ボランティアを募りやがて制度を勝ち取ってきた人たちをみてきた。やがて筋萎縮性側索硬化症ALSの人たちとの交流も始まりまった。
 ALSの人たちは字が書けなくなってからも、さまざまな手段をつかって文章を書く。こうして何人もの人たちが本を書いておられるが、立岩さんはその本を買いこんで、「どうやって病気のことを知らされたのか」「そのときの医療者の対応はどうだったのか」「呼吸器つけるかつけないかというときどうだったのか」といったことを知り、次第にこの分野に関わるようになる。呼吸器をつけるかそうでないかときくことは、「生きるか死ぬか」ということ。これは人が人に聞く事だろうか? と立岩さんは言う。このような重度の障がいのある人の生活のことをもっと医師や看護師は知って欲しい。

◎重度障がいの人が家に帰る
 病院から家に帰るとき、家族がいる家があってそれに介護保険をつかってそして帰るのが普通の退院の仕方でしょう。 しかし、家族もいない、ひとり暮らしがしたい、しかも医療的ケアが必要、という条件をかけあわせたとき、どんな手立てがあるのか。
 このような退院調整には、医療ソーシャルワーカーやケアマネジャーが関わることになるが、彼らは「やります」というが、通常のサービスを組み合わせるだけで、あとは調整ができない。しかし、彼らは「私はよくわかりません」とはなかなか言わない。現実的には利用者がソーシャルワーカーやケアマネジャーを変えるということはとても難しいこと。
 彼らは、もっとこの分野についてよく知っている立岩さんたちにまかせることをしない。でも退院の日は迫ってくる。
 ある人は、ある大学の学生たちがその人のために家を改造して退院後の生活支援も学生から受けているという。


◎ある人の人生の責任
 ある重度障がい者にかかわる大学院生。一生懸命その人のためにかけまわっていた。するとあちらこちらで言われた言葉があった。
 「あなたその人の人生の責任とれるんですか」
 「あなたその人の家族になれるんですか」
 立岩さんは怒った「そういう言葉が人を殺すんだ」と。まず家族というものが責任をとるということが間違っている。その責任は、家族に一義的に与えられるものではなくてざっくり言えば、1人が同じずつくらい責任を負う。それでいい。

 たまたま見るに見かねて、あるいは使命感で関わった人が責任を取りきれるのか。そういうことが根本的に間違っている。

 ある人に学生のボランティアが関わって生活を支えているとする。学生はやがて卒業を迎え、就職活動もしなければならない。こうして仲間はだんだん減っていく、次の人を見つけなければ自分が辞められない、だんだんとつらくなっていく。そのことが本人をもつらくしていく。一握りの人が責任をとるということはそういうことである。そのために、制度というものがある。

 現在の社会は家族が責任を取りきらなければならない、がそうではない。
 皆が適当に責任をもち、適当に無責任でいいと思う。そういう社会のほうが望ましいと思うし、そのように思う人は決して「呼吸器をつけたら10年20年生きるから、あなた、その間家族代わりになってみられるのか? 責任をとれるのか?」
ということは言わない。

 しかし、我々が幾度も耳にしたように、そのようなせりふを素人ではない専門職の方が何度も言ってきたという事実がある。そういう言葉を専門職が投げる、それはやっぱり間違っているんだろうと思う。

 あるべき方角にむけて現実を動かしてくことは全く不可能ではない。少なくとも世界に先んじて実践してきたのはこの国でありこの国の当事者である。ここしばらくは正念場である。

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                        まとめ終わり

 最後の1部分は衝撃的でした。
 家族にこれ以上迷惑をかけられないから呼吸器をつけないという選択をされて逝かれた方のことを思い出しました。10年以上前のことです。もう少し自分にもできることがあったと思っています。
 
 また、皆さまにお伝えしたいということはアップします手(パー)
 
posted by 管理人 at 00:46 | Comment(2) | TrackBack(0) | 障がい