2014年06月02日

とちぎボランティアネットワーク総会記念講演会 「おひとり様と死−死んだ後から、今を考える」レポート

今日は、とちぎVネットの総会の後、講演会があり、群馬県館林市の塚田一晃さんのお話を聴いた。孤立した人の人生の最期に関わる活動をされている。講演のメモをまとめてみました。

講師 群馬県館林市
   NPO法人三松会
   塚田一晃さん



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三松会 塚田一晃さん


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ろまんちっく村の研修室は満員でした


塚田さんは、館林市内にある源清寺(げんせいじ)の副住職。
塚田さんは、身寄りがない人の遺骨を預かって供養するうちにその人たちの死ぬ前のお世話もすることになってしまったという稀有な人である。そのために、葬儀屋もつくり、孤独死予防センターの活動も行っている。

本当は、曹洞宗のお坊様であるが、本当に身寄りもお寺もない人は、どんな宗派、宗教であっても供養し、共同墓地に遺骨も納める。しかもその多くはお金もない、孤立した人だという。

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2012年01月24日

英国マギーセンター記録

ロンドンのマギーズがんケアセンターを、ドイツ在住の村上紀美子さん、
訪問看護師の秋山正子さんらの一行が訪れました。
そのときのメモを承諾を得てアップいたします。転載、紹介自由です。

「病院以外の場所で、がん患者さんが気軽に何度も繰り返して
相談できる場所」それがマギーズセンターです。

なお、秋山正子さんは、東京都新宿区に暮らしの保健室を
開設、日本のマギーズセンターを目指しておられます。


【英国マギーセンター記録】PDFファイル[480KB]


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2011年02月04日

在宅緩和ケア公開講座「生と死について考える」レポート

皆さま、ご無沙汰いたしております。もう2月、立春の頃となりました。かわいい

今回は、1月に開かれた在宅緩和ケア公開講座「生と死について考える」のレポートをアップします。メモ
これは、栃木県内で在宅緩和ケアに関心のある人たちを中心にした市民団体「在宅緩和ケアとちぎ」と栃木県健康増進課、栃木県立がんセンターが主催したものです。

生と死についてあらためて振り返る貴重な機会となりました。
長文ですのでお時間のあるときにお目通しください。

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会場は満員でした

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2010年07月21日

「ほたる」 −生きる力を届けたい−

 年間3万人を超える人が自死する国、日本。
生きる力をなくしかけている人はもっと多いと
言われています。
 自死遺族の集いを運営されているリメンバー福岡の
便りに掲載された「ほたる」という文章に感動しました。
生きる力をいただきました。
 ぜひ多くの皆さんにお伝えしたいと思い、作者の岩元雅也
さんに連絡を取らせていただきました。

 このストーリーは実話です。
 岩元さんは、この文章に”本物の魂”を入れたいという
思いから本名で公開したいと希望されました。

岩元さんのメッセージです

「ほたる」が多くの方の目にとまり、そのなかの一握りの人で
あっても、”今、この瞬間を生きる力”を取り戻せるなら、
 これ程嬉しいことはありません。



「ほたる」  作 岩元雅也さん(福岡百道在住)
http://hibari-clinic.com/shiryo_box/file/hotaru.pdf


 岩元さんの許可を得て掲載させていただきました。
 多くの方にご覧いただきたいと思います。
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2009年11月16日

「ホスピスへの遠い道」
死の臨床研究会に行ってきました

先日、名古屋国際会議場で第33回日本死の
臨床研究会が開かれた。

これは、日本のホスピス黎明期から続く集まりで、
医療関係者やホスピスに関心のある市民など約3200人の
人たちが集った。去年の札幌に続く参加だったが、
今回は、2001年にアルフォンス・デーケン先生主催の
アメリカ・ホスピスツアーに参加したメンバーがたくさん
参加しておられ再会を喜び合うことができた。手(パー)るんるん

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これが名古屋城だ!(本文とはあまり関係ありません)

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金のしゃちほこが光る
(天守閣にはエレベーターがついていた)

今回興味を引いたのは、岡村昭彦の特集が組まれていたことだった。
最初のシンポジウムは、「ホスピスへの遠い道 その歴史と現在・未来 
〜マザーエイケンヘッドと岡村昭彦」だった。
岡村昭彦にゆかりのある人たちがシンポジストとして登壇した。

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2009年07月28日

八重山探訪:骨を洗う

沖縄本島からさらに南西へ400km行くと、
石垣島を中心とする八重山群島がある。

さんご礁に囲まれた島々を訪れると、いのちを継承する島人の営みがあった。

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飛行機空から見た石垣島のリーフ(サンゴ礁)

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ビーチの砂や石はすべてサンゴ

石垣島で夏子さん(仮名)という女性に会った。
夏子さんから八重山に伝わる洗骨の風習を聴いた。
亡き骸の骨を洗うのであるが、とても興味深かったので紹介する。

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2009年01月26日

末期がんの在宅緩和ケア その4:そのとき、どこに相談するのか

 ミチオさん(仮名・72歳男性 その1〜3参照)は、ご自身が望んだ家で最期まで過ごすことができた。家族としては、年末年始あぶないかもしれないという思いからSOSが発せられたのだが、本当はもう少し前に地域とつながっていることができれば、それほどあわてずに対応できたと考えている。いつ、どこへ相談するのか、それにはさまざまな調整が必要なのである。


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「そのとき、どこに相談するのか」
 では、末期がんの人が地域で暮らしたい、という希望があった場合、家族はどこに相談すればいいのかひらめき。病院に入院している場合は、病棟の医師や看護師を通じて、医療相談室や地域連携室など名前はさまざまだが、「退院支援・地域連携」を行う部門に連絡をとってもらい相談する。もし、病棟にうまく話が通じない場合には直接相談室に話をしてもいい。そこには、医療保険や介護保険の制度に通じ、在宅緩和ケアの準備や調整ができる医療ソーシャルワーカーなどのスタッフがいる。
 病院を退院後に外来通院をしている人も、やはり病院の相談室で相談したほうがいい。その上で、相談室から地域の訪問看護やケアマネジャー、そして当院のような在宅療養支援診療所に連絡をしていただけると、医療的な情報も確実に得られる。
 ミチオさんのように、退院後一度も通院しない人は、そうもいかないので地域の誰かが関わらねばならない。最寄りの訪問看護ステーションやケアマネジャー、さらに在宅療養支援診療所に相談することになるだろう。

「おわりに」
がん対策基本法が施行され、がんの人が地域に帰ることが増えてきているが、ていねいな調整がなされていないことがある。病院で「今しか帰れない」といわれても、その前に調整するチャンスは必ずある。地域の訪問看護や在宅療養支援診療所などの資源もまだ限られているので、関わるスタッフが、この人が家に帰った場合どうなるのか、準備しておくことは何か、などをイメージしながら早め早めに関わる動きが進んでほしいと考えているひらめき

                    おわり

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 大きな病院には相談業務を行う専門職がいる。代表的な職種はMSW(医療ソーシャルワーカー)である。医療や福祉の制度に通じ、中立な立場として病院内や地域の医師や看護師とも連携が取れる貴重な職種である。加えて貴重な人材として期待されているのが、「退院調整看護師」である。特に末期がんの方の相談には、病状や告知、麻薬など医療に関わる部分も大きく、進行の速度も速い。今後、退院調整に関わる看護師が増え、活躍することは、その人らしい人生を最期まで応援することにつながるに違いないやや欠け月
    <本文はひばりクリニック通信テレマカシー19号に掲載>
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2009年01月20日

末期がんの在宅緩和ケア その3:看取り

 ミチオさん(仮名・72歳男性 その1と2参照)は次第に衰弱していったが無事に
お正月も迎えることができた。やがてその時がやってきた。

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「看取り」
 年明け早々、訪問看護より連絡が入った電話。年末年始に微熱があったが落ちついてきたこと、食事は入らず、水分も充分でないという話があった。やがてある日の昼、訪問看護より「下血があります。血圧も60台です」と急ぎの連絡が入った。そこで訪問の予定を変更し、その日の午後に訪問した。
 ミチオさんは2人の娘さんに囲まれていた。すでに下顎呼吸といって末期に見られる呼吸だったが、挨拶すると「ご苦労様です」と返事があった。血圧はもう測れない状態だった。外出中の奥さんを呼んだ方がいいと声をかけて、私は次の訪問先へ向かった。
やがて再度連絡が入った。その日の夕方確認に向かった。ミチオさんはおだやかな顔で永眠されていた手(パー)

「在宅緩和ケアの調整」
 最期までその人らしく自宅で過ごすためのケアを「在宅緩和ケア」という。在宅緩和ケアの開始時にはさまざまな準備が必要だが、まず、本人が病状をどう捉えているのか、本人の希望はどうか、本人と家族の思いにズレはないか、介護の体制はどうか、など聴いて調整することが肝心である。末期がんの場合はそこに速さも要求される。当院で在宅緩和ケア開始時の調整のポイントを表に示す。語呂合わせで「カイコ ホケコ」という。
 ミチオさんの場合、「カイコ ホケコ」が何も整っていないのは無理もなかった。さらに役所は休みに入り、介護保険の申請は年明けになってしまい、結局調査が間に合わなかった。もしエアマットや介護ベッドが必要な場合には全額自費で借りることになっただろう。訪問看護もケアマネジャーも今回は当院から頼み込んだが、ほとんど病状の把握ができていない末期の方をこの時期から担当するのは受ける側としてはかなり厳しい話ではある。退院した病院も休み体制に入っていたので調整を依頼できなかった。


表  在宅ケア開始時の調整のポイント

カ 介護保険の申請
イ 医師(在宅医)の確保
コ 告知状態(がんや難病の場合)の把握
ホ 訪問看護の確保
ケ ケアマネジャーの確保
コ 後方病院(入院可能な病院)の確保

これらの調整がなされていると、在宅への
移行は比較的円滑に進むことが多い。

                      つづく

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 今回はいろんな条件が重なったとはいえ、退院調整や地域連携について考えさせられました。実際に目の前の家族が動くのを待つしかないのか。もう少しやり方はなかったのか、いや、きっとあるはずだと思うのです。多くの人が戸惑わないためにも。

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2009年01月17日

末期がんの在宅緩和ケア  その2:初めての往診

 ミチオさん(仮名・72歳男性)の家族と12月29日に面談を行い(その1参照)、その日の夜に往診となりました。

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家「初めての往診」
 その夜、直前に依頼した訪問看護ステーションの管理者と一緒にミチオさんの家を訪れた。ミチオさんは、居間のコタツで休んでおられた。コタツの正面にある書棚には各県の地図がずらりと並んでいる。博識のミチオさんは、地図をながめるのが好きだったという。新聞も端から端まで目を通していた。ノートには、気温、体温、便、尿などが克明に記録してあり、自分なりの流儀を大切にされる方だと思った。隣の部屋には布団が敷かれ、枕元にはラジオ、新聞、おやつ、飲み物が置かれていた。NHKのラジオ深夜便がお気に入りだった。
 ミチオさんは、意識こそしっかりしているが、かなり衰弱していた。肝臓は触ると硬く、表面はごつごつしていた。胃にも大きな腫瘤が触れた。食事はもうのどを通らず、ジュースなどの水分がわずかに通るだけだった。

「最期はどこで暮らしたいですか」
 ミチオさんと向き合った。そして「このまま食べられなくなったら弱っていきます。人生の最期はどこで過ごしたいですか?」と尋ねた。ミチオさんは「病院へ入院するのは嫌です。家で最期まで暮らしたい。」と答えた。それを見た家族もうなずいた。
 次は、医療と看護の体制を説明する。在宅医療と訪問看護が一緒に入ることで、24時間体制でケアを行うことができること、何かあったときにはいつでも往診できることを伝えた。訪問看護も休み体制に入っていたが年末と年始に訪問を入れてくださることになった。正月に私が県外に出る期間があったため、ミチオさんの情報を連携医と共有することも伝えた。
 がん性の痛みはなかったが、年末年始に備えて、痛み止めの坐薬(麻薬と麻薬でないもの)を処方した。薬があれば、電話のやり取りで訪問看護に対応してもらうことも可能なのである。
                 つづく
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 注 最期はどこで過ごしたいですか?は、意識のある人、答えられる人であれば在宅医療の開始時に必ずきくことです。家族の前で自分の希望を言っていただくことは、最期の最期にゆれることがある家族を支えることになるのです。

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2009年01月16日

末期がんの在宅緩和ケア  その1:家族からのSOS

 雪
今年もよろしくお願いいたします。


 最近、末期がんの方の在宅医療の相談が増えてきています。在宅緩和ケアに入るまでにさまざまな準備が必要なのですが、そのことは案外知られていません。中には在宅医だけ決めれば大丈夫なんて思っておられる方もあるかもしれませんが、本当はさまざまな準備の1つが在宅医療であるにすぎないのです。
 今回、年末年始に経験した在宅緩和ケアは、まさに調整が何もなされていない方からのSOSでした。今回、専門職がどのようにつながればいいのか、患者・家族はどのように考えればいいのか、制度はどうなっているのか、などいろいろと考えることがありました。長いので、3,4回に分けてお伝えいたします。
 なお、公開についてはご家族に了解を得てあります。

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 年明けにミチオさん(仮名・72歳男性・家族に公開は了承を得ている)がなくなった。末期がんだった。ミチオさんは奥さんと2人暮らし。ミチオさん宅への初めての往診は、12月29日のことだった。

「家族からのSOS」
 家族から電話が入ったのは、12月27日の午前中だった。年末で外来は混みあっていた。ミチオさんの娘さんの話を在宅担当事務が聴いた。
 ミチオさんは病院が嫌いで、10月末に検査入院しときは、すでに胃がんが進行し食べ物の通りも難しい状態だった。肝臓に多発性の転移もあり、あと3か月という診断を受けた。家族の希望で本人には告知はしなかった。ミチオさんは検査をした後、すぐに家に帰ってきた。以来、ミチオさんと家族は一度も病院を受診していない。やがて食べ物が入らなくなり、娘さんは年末年始の間もたないのではないかと心配になり、相談があったのである。

「面談」
 当院は在宅医療の利用者数の上限を定めていたが、年末にかけてすでに上限を超える状態だった。どうしたものかと考えた。しかし他に手段がないことから在宅医療を受ける覚悟で面談を行うことにした。
 12月29日の午後、奥さんと2人の娘さんが来院した。当院が在宅医療を行うと言うことは、家族ぐるみで当院に受診するミチオさんの親戚から聞いていたそうだ。
 改めて病状の経過をうかがう。確かに、今夜のうちに一度診察をしておかねばならない病状だった。しかし、まず方針を明らかにする必要がある。在宅ケアで最も大切なことは、本人がどうしたいのかということである。そこで、「がんという単語は使わないようにしますが、最期はどこで暮らしたいか、と聞いてもいいですか」と家族に告げて了解を得た。病院
                       つづく
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