2014年06月02日

とちぎボランティアネットワーク総会記念講演会 「おひとり様と死−死んだ後から、今を考える」レポート

今日は、とちぎVネットの総会の後、講演会があり、群馬県館林市の塚田一晃さんのお話を聴いた。孤立した人の人生の最期に関わる活動をされている。講演のメモをまとめてみました。

講師 群馬県館林市
   NPO法人三松会
   塚田一晃さん



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三松会 塚田一晃さん


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ろまんちっく村の研修室は満員でした


塚田さんは、館林市内にある源清寺(げんせいじ)の副住職。
塚田さんは、身寄りがない人の遺骨を預かって供養するうちにその人たちの死ぬ前のお世話もすることになってしまったという稀有な人である。そのために、葬儀屋もつくり、孤独死予防センターの活動も行っている。

本当は、曹洞宗のお坊様であるが、本当に身寄りもお寺もない人は、どんな宗派、宗教であっても供養し、共同墓地に遺骨も納める。しかもその多くはお金もない、孤立した人だという。

塚田さんは、修行のため千葉のお寺に奉公に行っていた。
そのときいろんな経験をし、本来のお坊さんとは何かを学んだ。
法事やお葬式をするだけが、お坊さんではない。
本来のお坊さんの仕事とは、その人が、死ぬ時にありがとうと
言って死ねるような気持ちに、生きているうちに持っていくことだと言う。

塚田さんは、6年の修行の後、館林のお寺に戻った。
今、自宅で亡くなる人は少ない。いろんな理由で最期は病院に運ばれる人がいる。病院で最期を迎えると、普通は葬儀屋さんが呼ばれるが、お金を持っていませんということになるとお経を上げるお坊さんもいない、つまり直葬になってしまう。タダでお経をあげるお坊さんもいるかもしれないが、普通は葬儀屋さんで止まってしまい、お金がないんだったらお坊さん呼ばずに火葬だけしましょうということになってしまう。

できることをやろうという思いで、お金をかけない葬儀をする有限会社の葬儀屋さんを作ったのが塚田さんたちの活動のはじまりである。
その頃は、お寺さんが葬儀屋さんをやるということで、何を考えているんだと反対された。行政も最初は信じてくれなかった。

しかし、それから19年。今では築き上げてきた信頼がある。



塚田さんはいう。無縁社会というが、身寄りのない人はほとんどいない。4親等までたどれば99%くらいは必ず誰かいると思う。実際、塚田さんは433人の後見人しているが、完全に身寄りのない人いない。もう関係ないから好きにしてくれと言われるのである。そういう人は孤立し、身寄りがなくなる。しかし、もしその人がお金持っていると必ず誰かがやってくる。お金ある人は身寄りが名乗り出てくる。
だから、身寄りのない人のほとんどは、お金のない人。孤独死なんて言葉はない。身寄りがない人はいない。親族が拒否するから孤立する。だから、孤独死ではなく孤立死。


今は、サザエさんの家のように、お孫さんまでいる家庭が少なくなってしまった。助け合いがなくなってしまった。
孤立する人は、自分一人で何でもできるという人が多いから一人暮らしで周りの援助を拒絶する人が多い。俺は一人でやっていると言うが、たまたま近くにコンビニがあるからやっていけるだけである。そのお弁当を作る人や運ぶ人がいるからやっていける。

誰かが自分を幸せに感じさせてくれて 自分は幸せになる。
幸せになると「ありがとう」という言葉が返ってくる。
だから、自分が幸せになるんだったら、周りの人を幸せにすることが大切。幸せの循環していただきたい。



今では、活動はNPO法人三松会としてやっている。
病院で孤立している人がいると、毎日のように次々と遺体が運ばれてくる。霊柩車、葬儀会館、霊安室まで完備している。NPO法人は宗教が絡むといけないので、お寺やお墓がある人は、そちらに任せているが、ない人はお寺がないお墓がない人は源清寺で供養する。

夏になると、館林は暑い。35度から40度になることもある。
路上生活している人で病院に熱中症で運ばれる人がいる。亡くなったら三松会ということになっている人もいるが、治療して元気が戻るといつまでも入院させておくことはできない。かといって、また路上に戻すとまた同じことになる。じゃあどうするということで施設にはいる手続きをするとき、施設の身元引受人がいないので、自分たちが身元引受人になるしかなかった。

そうしてはじめたのが後見人の始まり。誰一人お金をもらっていない。まだこれを始めたときは、後見人の制度すらなかった。
後見人を引き受けていると、いろんなことがある。夜中に病院から電話があり、もうあと数時間の命ですが延命治療をしますか、という生きるか死ぬかの判断を求められることもあるという。

*****

まとめ

人間生まれてきたとき宿題与えられている。
皆さんここにいるということは宿題が残っている。
一生懸命やると早く死にますからゆっくりでいい。

本人が忙しいと言ったら、周りから忙しく見られてしまう。
お茶も誘ってくれなくなる。絶えず、暇だ暇だと思っていないと幸せが逃げていく。
忙しいという言葉は、心を亡くすと書く。自分の物差しでしか考えていないんですよ。だから、時間に追われていると言えばいい。



お年寄りの施設
普段からありがとうと言っているおばあさんは、施設で大切にされている。

ありがとうと言えるかどうか。
ありがとうの言葉の根底には感謝の気持ちがある。それがないと偽善でしかない。

日々の感謝の気持ち。
朝、お日様が出ていたらお日様にありがとう、雨が降ったら、雨にありがとう。感謝の気持ちを持って暮らすこと。

周りを幸せにしないと自分を幸せにできない。ありがとうというと、相手は幸せに感じる。
人は暇だと、ゆとりができる、感謝の気持ちがわく。
  → 幸せに死ねる

posted by 管理人 at 15:24 | Comment(2) | ホスピス
この記事へのコメント
高橋先生.こんにちは,久しぶりにブログを拝見したら,とてもいいお話が書いてあって読みいってしまいました.
「忙しいという言葉は、心を亡くすと書く」とう文章をみて,はっとしました.
20年くらい前に信頼するシスターから,「伊藤さんはいつも忙しい,忙しいといっていますね.忙しいとは心を亡くすと書きますよ.少しゆっくり自分を見つめなさい」と言われたことを思い出しました.
このところ,時間に追われる毎日で余裕がありませんでしたが,ゆとりのある時間をとることで人々を幸せにできることを思い起こさせていただきました.
高橋先生,先生にはいつも素敵な言葉と時間をあたえて頂いています.
ありがとうございます.
またお会いできること楽しみにしてます.
Posted by ヴィセンテ伊藤美由紀 at 2014年06月25日 17:14
伊藤さん、いつもお世話になっております。私も、時間に追われているときほど笑顔でゆったりとした雰囲気をまといたいと思っています。まだまだ修行が足りませんが(笑)。すっきりしないお天気が続きます。お体くれぐれもご自愛ください。
Posted by 管理人 at 2014年06月25日 22:18
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