先日、名古屋国際会議場で第33回日本死の
臨床研究会が開かれた。
これは、日本のホスピス黎明期から続く集まりで、医療関係者やホスピスに関心のある市民など約3200人の
人たちが集った。去年の札幌に続く参加だったが、
今回は、2001年にアルフォンス・デーケン先生主催の
アメリカ・ホスピスツアーに参加したメンバーがたくさん
参加しておられ再会を喜び合うことができた。


これが名古屋城だ!(本文とはあまり関係ありません)
金のしゃちほこが光る
(天守閣にはエレベーターがついていた)
今回興味を引いたのは、岡村昭彦の特集が組まれていたことだった。
最初のシンポジウムは、「ホスピスへの遠い道 その歴史と現在・未来
〜マザーエイケンヘッドと岡村昭彦」だった。
岡村昭彦にゆかりのある人たちがシンポジストとして登壇した。
岡村昭彦は、「ホスピスへの遠い道」(1987年筑摩書房 絶版)の著者である。10数年前のことだが、不要になった書籍を人づてに何冊かいただいたことがある。その本の中に、たまたまこの本があった。処分はせずに引越しのたびに持ち歩いていた。タイトルが気になったのか、著者の名前に親近感が湧いたのか?
ともかく、私がホスピスに関心を持ったときには、すでにこの本が手元にあったのは幸いだった。このシンポジウムはぜひと思い参加した。
「ホスピスへの遠い道」
岡村は、ホスピスの母であるマザーエイケンヘッドの出身地アイルランドを丹念に回り、日本と行き来しながら、名古屋ゼミなどを通じて看護師にホスピスやバイオエシクスを伝え続けた。ホスピスは看護師が中心という確固たる考えを岡村は伝え続けた。名古屋ゼミに参加していた看護師もシンポジストの1人だった。ホスピスへの遠い道の目次を記載する
序 人権運動としてのホスピス
1 アイルランドから見える世界の広がり
2 われわれはいま、どんな時代に生きているのか
3 人言の健康な部分と病院という虚構について
4 市民ホスピス
5 マザー・エイケンヘッドの娘たち
アイルランドには悲しい歴史がある。カトリックであるアイルランドは、プロテスタントであるイギリスに占領され、多くのカトリック教徒が殺害され、その後も差別を受けた。今はアイルランド共和国として独立しているが、北部はイギリス領のまま残っている。
ホスピスケアを受けるのは権利。
ホスピスは平等意識。
シンポジウムでは、そんな単語がぽんぽん飛び出す。がん対策基本法が成立してから、緩和ケアと言う単語がポピュラーになってきているが、ここでは堂々とホスピスという単語でのやり取りが行われていた。ここに参加している人たちは、ホスピスが決して緩和ケア病棟をさすものでもなく、考え方であり理念であることをわかって議論しておられたことがとても胸がすく思いだった。
「日本のホスピスについての疑問」
在宅緩和ケアを行う医師のNさんは、今の日本のホスピスについての疑問を述べている。(1)現在の医療体制と共存
ホスピスが現存する医療体制への問題提起になりえていない。
むしろそれを補完するものと成り下がっているのではないか。
(2)在宅プログラムの不在
大部分の緩和ケア病棟は、在宅ケアプログラムを持たない。
(3)ホスピスとは、運動、理念であり、箱物ではない。
当初は(2)、(3)の問題、つまり在宅プログラムを持たないホスピスへの疑念が強かったが、最近では(1)の問題が大きいと考えるようになった。
つまり、ホスピスの広がりが現代医療を変革する<力>となりえていないことの問題である。
「本当の成熟社会は、選択できる社会である」
Nさんは、こう言った。痛いところをつかれた。日本は本当に選択できているのだろうか。たとえば、特別養護老人ホーム、今は待機者が数十人という施設も少なくない。今の現状では日本の高齢者に選択の自由はほとんどない。たとえば、末期がんの人。緩和ケア病棟でも、一般病棟でも、そして在宅でも選べるようになっているだろうか。ホスピスは、場所が問題ではない。それは考え方であり理念なのである。
私は、在宅介護や、認知症グループホームのケアを見て、その中に、ああ、認知症になったとき、こんなケアを受けられるといいな、と思ったことが多々あった。何度同じ話が出ても、笑顔で聴く、ていねいな言葉遣い、オムツをはずしトイレ誘導をする。そばに座るだけでそのお年寄りが安堵の笑顔を見せる。そのケアの本質はなんなのか、ずっと考えてきた。
そしてホスピスケアの概念がそれに近いことを知り、ホスピス関係の勉強を始めたのだった。ホスピスには、人権運動という面が確かにある。
「岡村昭彦について」
岡村昭彦は1985年3月に病死している。岡村は医療関係者ではなく、写真報道家である。ベトナム戦争のときに戦場フォトジャーナリストとして戦地に赴き、その報道はロバート・キャパを継ぐといわれたほど高い評価を得ていた。別会場では、写真や資料の展示も行われており、拷問を受ける解放軍兵士、倒れた母のそばにたたずむ子ども、撮影の2時間後に銃殺された解放軍の家族などのの生々しい写真があった。あるときは政府軍側から取材し、違う立場からの取材が必要だと考えた岡村は解放軍に接触し、1か月余捕らえられる。やがて解放民族戦線の副議長の取材に成功する。
両方の立場から取材をするということが戦地でどんなに難しいことだったろうか、しかしそれを岡村昭彦は実行した。
岡村昭彦の講義録より
*他人の痛みは100年でも待てる
*ことばは思想を規定する
*日本で患者中心の医療をするときには自分が人のために
何かをしてやっているのだということは差別なのです
ホスピスへの遠い道は、定本となって再出版されている。
「定本 ホスピスへの遠い道」(1999年春秋社)
おいしそうなおまんじゅうですね。機会があったら食べたいと思います。
昨夜、CMの研修で終末期のケアで渡辺邦彦Drの講義を聞いたのですが、緩和ケア・ターミナルケア・ホスピスといろいろありますが、どのように違うのか、使いわけとかあるのでしょうか。ふと疑問に思いました。
とても参考になる講義でした。もっと勉強しなくてはと思いました。
それにしても先生には、とても感心します。開業医でありながら、いろいろな事に挑戦し関心をもち学会も日本全国へ出向きすごいです。
お体に気をつけて頑張ってくだい。
私も向上心のあるCMを目差し頑張ります。
こんにちは。コメントありがとうございました。渡辺邦彦Drのご活躍はすばらしいですね。渡辺Drはがんの緩和ケア専門で在宅をされていますが、ひばりクリニックでは、外来も在宅も行いますし、在宅も小児からお年寄りまでがんもそうでない方も関わらせていただきます。そのため、末期のがんの方だけというわけにはいきませんが、ホスピス・緩和ケアの考え方は、医療のどの場面でも大切だと考えています。
さて、ホスピスとホスピタルの語源は同じところからきていますが、その語源はもてなしというものだと聞いています。近代ホスピスは19世紀にアイルランドで始まりましたが、カナダでホスピスの取り組みが始まったときに、緩和ケアという単語が登場しました。ホスピスという単語が、フランス語圏では養老院などあまり好ましくない意味があることから、フランス移民が多いカナダでは緩和ケア(palliative care)という単語になったそうです。
日本では、市民ホスピス運動がおこり、そのころはホスピスという言葉が主に使われていましたが、病院の中に「緩和ケア病棟」ができたこともあり、徐々に緩和ケアが単語として使われるようになりました。本来定義をしっかりとしておけば、どちらも同じように使っていいのですが、今の緩和ケアの流れが、がんとエイズだけ、とか、身体的苦痛をとることが主流になっている、という感じになってしまうという危惧もあります。やはり緩和ケアもホスピスケアも、がんに関わらず認知症、神経難病、重度障害児・者など、必要な人すべてのものであり、全人的な苦痛を取り除いて、その人らしく暮らしていただくことが基本だと私は思っています。ターミナルケアは、終末期という概念です。緩和ケアもホスピスケアも、病気の終末期に関わるというより、最初から関わるという概念になってきていますので、最近はあまりターミナルケアという言葉は使われなくなってきているようです。私はこの程度しかコメントできませんので、詳しいことは別の方にお願いできればと思います。