去る9月20-21日に、在宅ケアを支える診療所市民全国ネットワークの
第15回全国の集いが群馬県前橋市で開かれた。
在宅ケアに関心のあるおよそ1500人ほどの人が全国から集った。2日目に小児のセッションが開かれた。会場は全国各地から関心のある人たちが集り盛況だった。まだまだ、小児の在宅ケアに関心のある人は多くないが、会場に
集っている人たちは、目の前の子どもを何とかしたい、という
思いで集っておられたようだ。医師、看護師(病院・訪問看護・大学院)ばかりでなく、地域の学校の教師の皆さんもみえていた。
以下レポート少々長いのでお時間のあるときに目を通していただきたい。
21日午前 実践交流会(一般演題)
障がい児・者「重い障がいのある子どもの在宅ケア&
障がいのある人の就労支援
(司会 吉野浩之さん 群馬大学教育学部准教授)演題9題の内訳は、小児が8題、就労支援が1題だった。
うりずんからは、三上綾子看護師が、うりずん開設後14か月の振り返りを行いさまざまな課題を明らかにした。
高橋は、人工呼吸器をつけた子どもの母親が妊娠し、地域のケアチームで出産、その後に対応することができたことを報告した。
また、診療所としては、在宅医療と高齢者の通所介護に加える形で重症児の通所をしている長崎市の診療所と、高知市に新規開業した診療所で小児科医と内科医の2名体制での在宅医療の発表に続き、名古屋市の診療所からは、同じ法人の訪問看護ステーションの利用児に限って、日中一時支援を行い、外付けでステーションから訪問看護を行い、ケアやリハビリが受けられるという発表があった。
群馬県の小児専門病院では、在宅支援ワーキンググループをつくって地域との連携を行っていた。また、同病院医師により、訪問看護ステーションに対する小児在宅緩和ケア調査の発表もあった。それぞれ現場でがんばっているところが増えてきていることを感じた。
質疑の中で、レスパイトケアを全国に広げるための方策についてのやりとりがあった。
・現在は、市町村が独自に対応をすべき制度なので、全国一律の制度をつくる
・預かりを担うスタッフ(看護師・介護福祉士)の確保
・関心のある人が増えること
・本来、自立支援協議会というところは、足りない社会資源
を考えていくところなので、協議会がもっと動くといい
ランチョンセミナー 子どもの在宅ホスピスケア
(細谷亮太さん)細谷さんは、1947年に医師となった。
現在は、聖路加国際病院の小児総合医療センタ長、副院長である。
がん(悪性新生物)には上皮性のがんと、非上皮性の肉腫がある。大人のがんは、ほとんどが上皮性のがん(98-99%)で年間40万人。子どものがんは、ほとんどが非上皮性の肉腫(97-98%)で年間3000人が発症する。
以前はほとんど治らなかった子どものがんも、今では80%は治るといわれているが、それでも子どもはそれほど亡くなることはないので、がん(悪性新生物は)1歳から19歳までの死亡原因の上位(3位以内)に入る。
いまや、子どもの死に出会う人は、ほとんどいなくなってしまった。それだけに、子どもの死に接する両親も、きょうだいも深い傷を負いやすい。
小児がんの治療やケアについては、小児悪性腫瘍のパイオニアであるファーバーは多職種によるチーム医療を提唱していた。病気そのものの治療に加えて、心理、社会、経済、宗教的なサポートを子どもたちだけでなく家族をも対象に行うトータルケアである。子どもがなくなったときには、悲嘆のケアも視野にいれる。
聖路加国際病院では、多職種によるカンファレンスをずっと前から開いてきた。現在、そのチームには、医師、看護師、保育士、CLS(チャイルドライフスペシャリスト)、医療ソーシャルワーカーなどが入る。CLSはトラウマにならないように予防する教育も受けてきている。
がんの告知については、両親にはそろってきてもらう、落ちつける場所と時間を確保し、希望を失わせないこと、正確な情報をわかりやすく伝えるなどの配慮を行う。いつも、医療チームは患者さんと家族に寄り添っているということを理解してもらうことが大切。
また、子どもに対しても、うそをつかない、子どもがわかるように伝える、あとのことを考えて話す、などの配慮を行います。
病室である子が亡くなって帰ったとき、別の子どもから「どこにいったの」ときかれたら、「元気になって家に帰った」といううそは言わない。もし研修医がきかれた場合には、「家に帰ったらしい。でも、詳しくは上の先生にきいてください」と言う。
アメリカでは早くから病名の告知が行われていたが、細谷さんにとって、病名の告知はずっと宿題だった。
ようやく最初の告知ができたのは、30年ほど前のことだった。
科学がどんなに進んでもターミナルはある。聖路加では、1991年から2007年まで21人が在宅死している。小児のターミナルのポイントは、的確な出発点、楽なコミュニケーション、そして痛みのコントロールである。
子どもが亡くなったあとも、医療チームは、両親、きょうだい、家族にとって、亡くなった子のことを語ることのできる重要な存在である。
【全国の集いin群馬 レポート:小児のセッションのまとめ(その2)】