2009年07月28日

八重山探訪:骨を洗う

沖縄本島からさらに南西へ400km行くと、
石垣島を中心とする八重山群島がある。

さんご礁に囲まれた島々を訪れると、いのちを継承する島人の営みがあった。

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飛行機空から見た石垣島のリーフ(サンゴ礁)

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ビーチの砂や石はすべてサンゴ

石垣島で夏子さん(仮名)という女性に会った。
夏子さんから八重山に伝わる洗骨の風習を聴いた。
亡き骸の骨を洗うのであるが、とても興味深かったので紹介する。

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誰もいないビーチ(黒島)

ある年、夏子さんの祖母が波照間島で亡くなった。

子や孫やひ孫たちに看取られながらの大往生だった。
亡き骸は手作りの棺に入れられて土葬された。
 
7年後、洗骨のために島の内外から家族や親戚が集まった。
夏子さんは皆と一緒にお墓に向かった。
沖縄のお墓は大きく、家族、親戚が集えるくらいに墓前は広い。

親戚の人々が墓を開け、棺を取り出した。
ふたが開けられ、夏子さんは7年ぶりに祖母に対面した。
着物は化学繊維だったためか、半分以上残っていた。

亡き骸はミイラ化しており、皮膚が骨にへばりついていた。
お骨は人々の手で皮がはぎとられ、その場で水洗いされた。
きれいになった骨は新しい骨壺に入れられ、墓に納められた。
骨を洗うのは男性の仕事である。女性はお墓の外側で炊き出しをする。
その場では、誰もが普通の風景として受け入れていた。


夏子さんはその後、波照間島で義父を介護して看取り、
やはり7年後の洗骨にも立ち会っている。

最初に洗骨に立ち会ったとき、そのときは、怖さを忘れて
その儀式にとけ込んでいたが、夜になってその光景が思い出されて眠れなかったという。

波照間島では、洗骨は7年目か8年目に1度だけ行われる。
今の世の中、土葬された後、墓を開けて先祖の骨を洗うということは
どこでもできるわけではない。波照間島に今も残る洗骨の風習。
そこには、いのちの尊さを伝える強烈なメッセージが込められている。
夏子さんはじめ、お世話になった皆さんに感謝する。

(ひばりクリニック通信テレマカシーより 一部改変)


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リゾート三線の名曲「安里屋ユンタ」ゆかりの家(竹富島)

posted by 管理人 at 12:31 | Comment(3) | TrackBack(0) | ホスピス
この記事へのコメント

 徳之島出身の、53歳の友人に「洗骨」の話を聞いたことがあります。
 馴染みのない者には、衝撃的な弔い方でした
が彼は日常的な出来事として語っていました。
 早世した母への思慕を断ち切れなかった当時の私は、その風習を「うらやましい」と思ったことを記憶しています。

 昨年8月、兄の納骨の際、うっすらと埃をかぶった母の骨壷を見ました。その瞬間、母に会ったような錯覚を覚えました。とめどなく涙がこぼれました。温かなものに包みこまれたような感じで、全身が穏やかな気持ちで満たされました。。その後、母への思いは嘘のように吹っ切れました。

 夫の遺体を献体した妻が、「帰宅するまで、夫の体は、病院のどこかにいるという思いが希望となり、落ち込むこともなく夫の帰りを待つことができた」と語っていたのをテレビで観ました。
 土葬の遺体がゆっくりと土に還って行くように、この妻も、夫の遺体が戻るまでの長い時間を、病院にいる夫を思い、静かで豊かな別れをされたのだと思います。

 一つの生命が尽きても、生命は限りなく続いていきます。
 何億年も前の、生命の末裔が私だなんて、なんだか、うれしい・・・







Posted by at 2009年08月08日 20:00

 徳之島出身の、53歳の友人に「洗骨」の話を聞いたことがあります。馴染みのない者には、衝撃的な弔い方でしたが、彼は日常的な出来事として語っていました。
 早世した母への思慕を断ち切れなかった当時の私は、その風習を「うらやましい」と思ったことを記憶しています。

 昨年8月、兄の納骨の際、うっすらと埃をかぶった母の骨壷を見ました。その瞬間、母に会ったような錯覚を覚えました。とめどなく涙がこぼれました。温かなものに包みこまれたような感じで、全身が穏やかな気持ちで満たされました。。その後、母への思いは嘘のように吹っ切れました。

 夫の遺体を献体した妻が、「帰宅するまで、夫の体は、病院のどこかにいるという思いが希望となり、落ち込むこともなく夫の帰りを待つことができた」と語っていたのをテレビで観ました。
 土葬の遺体がゆっくりと土に還って行くように、この妻も、夫の遺体が戻るまでの長い時間を、病院にいる夫を思い、静かで豊かな別れをされたのだと思います。

 一つの生命が尽きても、生命は限りなく続いていきます。
 何億年も前の、生命の末裔が私だなんて、なんだか、うれしい・・・







Posted by PUMPUKIN at 2009年08月08日 20:05
PUMPUKINさん
 お便りありがとうございました。
 洗骨の風習については、いろんな方からご意見をいただきました。確かに今の世の中では驚くべき風習です。
 お母様を早くなくされたPUMPUKINさんとしては、洗骨を「うらやましい」と思われたようですね。でも、お兄様の納骨の際に、お母様と「再会」されたことで、気持ちの上で納得されたのでしょう。
 近い人の別れには、もっと時間が必要なのだと思います。
 私は28年前に姉をなくしています。2つ違いでずいぶん面倒をみてもらった姉は、私がかけつけたときはすでに帰らぬ人となっていました。実家にある姉の写真は年をとりません。私の中でも姉は22歳のままです。きっと帰るたびに小さくなっていく実家の両親を見守ってくれているのだと思います。ほとんど夢にも出てきませんが、もしもう一度逢えたら「ありがとう」と伝えたいと思っています。
 もうすぐお盆です。私も実家で両親に逢い、墓参りをしてきます。
 ありがとうございました。
Posted by 高橋昭彦 at 2009年08月12日 19:33
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