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その夜、直前に依頼した訪問看護ステーションの管理者と一緒にミチオさんの家を訪れた。ミチオさんは、居間のコタツで休んでおられた。コタツの正面にある書棚には各県の地図がずらりと並んでいる。博識のミチオさんは、地図をながめるのが好きだったという。新聞も端から端まで目を通していた。ノートには、気温、体温、便、尿などが克明に記録してあり、自分なりの流儀を大切にされる方だと思った。隣の部屋には布団が敷かれ、枕元にはラジオ、新聞、おやつ、飲み物が置かれていた。NHKのラジオ深夜便がお気に入りだった。
ミチオさんは、意識こそしっかりしているが、かなり衰弱していた。肝臓は触ると硬く、表面はごつごつしていた。胃にも大きな腫瘤が触れた。食事はもうのどを通らず、ジュースなどの水分がわずかに通るだけだった。
「最期はどこで暮らしたいですか」
ミチオさんと向き合った。そして「このまま食べられなくなったら弱っていきます。人生の最期はどこで過ごしたいですか?」と尋ねた。ミチオさんは「病院へ入院するのは嫌です。家で最期まで暮らしたい。」と答えた。それを見た家族もうなずいた。
次は、医療と看護の体制を説明する。在宅医療と訪問看護が一緒に入ることで、24時間体制でケアを行うことができること、何かあったときにはいつでも往診できることを伝えた。訪問看護も休み体制に入っていたが年末と年始に訪問を入れてくださることになった。正月に私が県外に出る期間があったため、ミチオさんの情報を連携医と共有することも伝えた。
がん性の痛みはなかったが、年末年始に備えて、痛み止めの坐薬(麻薬と麻薬でないもの)を処方した。薬があれば、電話のやり取りで訪問看護に対応してもらうことも可能なのである。
つづく
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注 最期はどこで過ごしたいですか?は、意識のある人、答えられる人であれば在宅医療の開始時に必ずきくことです。家族の前で自分の希望を言っていただくことは、最期の最期にゆれることがある家族を支えることになるのです。