何年かに一度、私は少しだけ気ままな旅をするのですが、2017年のある日、私は日本最西端の島、与那国島を旅してきました。予定をなんとか工面して実現したものです。今でも、目を閉じると与那国の風景が浮かびます。
わずか3日間でしたが、いのちの洗濯をしてきました。
与那国紀行、よろしければお目通し下さい。
1.与那国島(よなぐにじま)とは
==============================
与那国島の人口は1543人(平成28年6月現在)。日本最西端の島である。東京から1900km、沖縄本島からでも509km。周囲27.49km。今回は、往路は羽田→那覇→石垣→与那国空港と2回乗り継ぎ、復路は与那国→那覇→羽田で1回乗り継いだ。集落は、役場のある北側の祖納(そない)、西の久部良(くぶら)、南の比川(ひかわ)の3集落。比川地区には、Dr.コトー診療所のロケが行われた建物がそのまま残されている。
往路の富士山
いくぞ与那国! 石垣からプロペラ機で
2.与那国には馬がいる
==============================
与那国では馬が放牧されている。日本には、昔からいる在来和種馬があり、そのうち、2番目に小さいのがヨナグニウマだそうだ。背中までの高さ120cmm、体重は200sと小さい。ひづめには蹄鉄をつけていない。岬でであった馬の中にはおなかが大きい馬もいた。近寄ってもあまり逃げない。あるところで乗馬体験ができるので行ってみた。ハイ!というと走り、ダーダーと手綱を引くと止まってくれる。小さな体に私の重さはこたえたらしく、散歩のあと汗をかいていたので、やさしく首をなでて褒めた。ありがとう。
のどかな放牧風景 手前の馬は身ごもっている
乗せてくれてありがとう
3.テキサスゲート
==============================
島をめぐる道には、何か所かテキサスゲートという馬返しがある。コンクリート製で、馬はここに足をいれると足を痛めるためそこより先はいかない。一見、野生にみえるが、ある一定の区画に馬が生息している秘密はここにある。車やバイクも通行する時は速度を落とさないとハンドルをとられる。
ちなみに、草や木の葉っぱを食べているためか、いたるところにあるうんちは全くにおわない。でもそれなりに栄養があるらしく、きのこが生えているうんちもあった。
テキサスゲート この先は馬は行かないようになっている
自然の循環 こんなところにきのこが
4.日本最西端の居酒屋
==============================
日本最西端の居酒屋 島料理海響(いすん)が初日のお店。漁師さんがやっているお店ですぐにいっぱいになる人気店である。近くの久部良港には新鮮なカジキマグロが水揚げされる。キンキンに冷えたオリオン生ビールと、カジキマグロの刺身をいただく。新鮮なカジキの天ぷらは、アツアツで、本当においしかった。お店のおすすめ、島たけのこの素朴な味もいい。いろんなものをいただいたが、なかでもマース煮が気に入った。沖縄で塩のことをマースと言うが、近海でとれたアカマチという魚の塩煮。塩だけで煮るのでこまかしがきかない。
骨までしゃぶる。
カジキの刺身 新鮮そのもの
カジキの天ぷら アツアツをほおばる
島たけのこ 素朴なあじわい
これがアカマチのマース煮 約30cm!
5.夜明け前
==============================
じつはもうこの時、与那国は梅雨入りしていた。本当はうりずんの時期に行きたかったのだが、初日の深夜に稲妻とスコールのような豪雨があり、中日はこれで終わりかと思ったが奇跡的に朝になると雨が止んだ。早起きして夜明け前の道を歩く。夜明けの祖納港には誰一人いなかった。役場のある祖納集落には、島でひとつしかない医療機関である与那国診療所があった。ここは離島なので、どのようなときに病人の搬送を決意するのか、その手段や天候なども考えねばならず、陸続きのへき地とはまた違う条件に思いをはせる。帰りにふと目にとまったのは街路樹。南国らしい街路樹だが、台風の直撃を受けるので街路樹も風に負けて坊主になっていた。そう言えば、初日に岬でみた風力発電所のプロペラも2機のうち1機は風にやられていた。
夜明けの祖納港
与那国診療所
島の街路樹も風にはかなわない
風力発電機も風にプロペラが飛ばされる
6.島めぐりその1 Drコトー診療所とわかなそば
==============================
雨の心配もなく、2日目はスクーターで島めぐり。比川という集落にあるDrコトー診療所ロケ地に行く。もともと診療所が廃止されたあとの建物を使ってドラマのロケが行われたようだ。集落の人の厚意で今も維持管理され、見学することができる。近くにはサンゴの石垣の続く集落があり、わかなそばがあった。ここに店があるとは店の前に行かないとわからない。肉屋さんがやっているそば屋。沖縄本島のきしもとそばより細麺。特徴はさすがの豚肉。焼いた香ばしい肉がそばに入り、そばと肉がどちらも楽しめる。普通盛りは700円、がっつりいきたい人は大盛り900円がおすすめ。
2日目はスクーターで島めぐり
Drコトー診療所 ロケ地
診療所屋上からみた浜辺
民家の石垣 この石は実はサンゴです
わかなそば外観
わかなそば うまい!
7.島めぐりその2 どなんの故郷
==============================
泡盛の銘酒、どなんを製造する国泉泡盛合名会社の見学に行くことにした。が、何の看板も道路にない。でもここだろうと思って行くと、そこが工場だった。一度に1トンのタイ米を蒸して黒麹を混ぜる、発酵させて、蒸留する。その蒸留の最初に出てくるのが香りが良くアルコール濃度の高いもの。これは濃度が高く人が飲むものとしては認められていないので、工業用アルコールとして「花酒」という呼び名で地元でのみ売られている。どなん60度もそうして出来た。その下の43度のどなんまでか蒸留したそのままが入っている。30度のものは加水してある。香りは濃度が高いものが良いが、60度のものをそのまま飲む時は水を別のコップに入れてちびちびやると良い。
どなんを製造する国泉泡盛合名会社
どなんを造る工場の中
タイ米1トンからつくる
黒こうじを入れて発酵させる
これが蒸留器 最初はアルコール濃度の高い泡盛が出てくる
花酒は60度 お水といっしょにどうぞ(国境にて)
8.台湾との関係
==============================
隣接する台湾とは111kmの至近距離にあり、与那国と台湾との関係は深い。地元のガイド誌によると、かつて台湾は日本の領土であり、戦前には人々は行き交い、与那国にとって台湾は最も身近な島だった。しかし1945年、太平洋戦争の終結と共に、両者の間には国境の線が引かれた。
終戦後の混乱期には与那国には台湾からヤミ船が出入りし、生活必需品が豊富に出回っていた。このころ、与那国の人口は約2万人にも上り、飲み屋や食堂もにぎわっていた。まだ今でも、与那国には台湾人が経営している店や台湾人の墓があるという。
国境は存在しているが、人々の心の中は台湾は近いところのようで、今でも与那国の子どもたちを台湾に連れていく交流があるという。ただ、そのためには、一度那覇にもどってから飛行機で飛ばねばならない。海岸にはたくさんのゴミが漂着していたが、ふとペットボトルをみると、台湾からのもののようだった。ペットボトルは簡単に国境を越えてくるのだった。
日本最西端の地 この先に台湾があるが、年に何回かしか見えない
浜に流れ着いたペットボトル
9.与那国最後の晩餐
==============================
2日目の夜は、役場のある祖納集落にある居酒屋。お店の名前は国境と書いて「はて」と、読ませる。そんな居酒屋が与那国最後の晩餐。カジキの唐揚(ここでは唐揚げはてという)は、骨つきで生きていてよかったと思うほどの美味さだった。近海魚の刺身にはまたアカマチが入っていた。最後の料理は採りたてのアカマチのあら煮。目の周りの肉、尾びれなどきれいに平らげた。おなかいっぱい魚を食べてオリオンビールと泡盛をいただいた。
今夜ももちろんオリオンです
新鮮なお刺身 カジキやアカマチもある
唐揚げはて(カジキの唐揚げ)生きててよかった〜
近海の魚アカマチのあら煮
10.与那国を振り返って
==============================
産業は、農業、漁業、そして観光か。しかし、今まで訪れたどの沖縄の島とも違う。観光のスポットは少ない。初日に訪れた居酒屋では、地元の漁師さんから、釣りもダイビングも海底遺跡も見ないって、何しに来たと言われ、島をぐるりと一周回ったと言ったら、もう行くところないと言われた。
観光慣れしていない、ひっそりと人々が暮らす、そんな島である。時間がゆったりと流れ、与那国馬にゆるく乗り、美味しい魚とオリオンビール、泡盛のどなんなどを楽しめる。そんなことをしたいという方にはおすすめしたい島である。
与那国の海
草を食む与那国馬
ヨナグニ馬、ちっちゃ!
のりた〜〜い!!!
馬がいるなら、カバン持ちでも、汗拭き係りでも、
レンタカーの運転でも、ビールの買い出しでも、何でもやりますぜ。
日ごろのお働きのご褒美でしたね。
コメントありがとうございました。
私を乗せた馬が汗をかきながら歩くのをみて、これはもうちょっと荷物軽くしてあげないとと思ったのでした。
カジキは本当にいいご褒美でした。
もう夏も終わりですね。どうかお元気でお過ごしください。
「与那国島」行ってみたい島の一つです。
Dr.コトー診療所、残されてるんですね。
行ってみたいです。